9月
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文化とは如何に動くのだろうか
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通勤路を変えてみました。こっちの方が距離的には遠回りだが、急勾配が無く、妥当かと。そのかわりスタート地点からずっと少しずつ登っている塩梅である。急勾配の方は、帰り道のルートにしてみた。勾配度25%だから、スキー場の黒コースを下るような快感が味わえる。両脇は住宅で、人や犬の飛び出しが怖いが。
ちなみに運動量はですねー:
今日はラーメンは食べず、家のおとといのカレーの残り。あ、でも昨日ラーメン喰ったわ(笑)。
学校は昨日から成績配布とか履修相談とか。言われた通り昼13時から夕方17時まで履修相談会場に詰めたが、ほとんど誰も相談になんて来ないじゃん。他にやることあんのにね。エーと書評の方はなんとか目処つきました。もうひとつの案件がタイトルの奴なんですが。
授業内容なんかでもあちこち書いてますが、僕は元々チョムスキーとかサイードとかに影響されて、西洋における東洋の表象とか、メディアによる恣意的なイメージコントロールに興味を持ってました。パリで日仏サブカルチャーのフリペを編集してたのも、あわよくばそんな文化ステレオタイプを突き崩すことが出来るかも、とか思ったからです(少なくとも僕の心の奥底では:アッハッハ)。なんで、どうもそういうタイプの映像ドキュメンタリーを作るときに時々声がかかることがあるんです。
で、今回のお話ですが、フランスの番組制作会社から連絡がありました。数年前、『皇帝ペンギン』というリュック・ジャケ監督の動物ドキュメンタリーがあったけど、これを制作した会社です。テーマは青年期(adolescence)。ちなみにこの話があるまで、adolescenceって思春期と訳すのだと思っていたのだが、違うらしい。思春期は青年期の前半で、思春期を過ぎたあとも青年期は続くのです。フランスから青年期の若者4人を、アジアの4ヶ国に送り込み、現地の青年期の若者と一緒に過ごさせて、将来への不安とか、実存的な悩みとか、両親との関係とか、趣味とか、恋人とか、そんなことを語り合ってもらうという趣旨。放映するのは向こうの大手民放局で、まずプライムタイムに90分のまとめ番組があり、その次の週から国毎に1時間の番組が4週続く。すごい分量でしょ?
アジアの4ヶ国というのは、日本の他にインド、タイ、カンボジア。これらをまとめて「アジアの」という形容詞で括っちゃってるとこなんかに既に僕の方では違和感ありありで、最初からでっち上げられたイメージに沿った映像だけとられて、テケトーに編集して、残念なアジア像がフランスのお茶の間に流れるだろうなあ。断固阻止せねば(!)、なんて奮い立ったわけ。日本の若者の生態については、90年代には日本のおたく(ヘンタイまんが)を扱ったジャン=ジャック・ベネックスのテレビドキュメンタリーがあって、これがいかにも病理的な、かなり歪んだイメージを伝えてたりすんだけど。
ちなみに私、ナショナリスティックな感情でこう思ったわけじゃないです。今、日本の青年がおかれているある意味悲惨な状況については、この国の歴史や政治に大いに文句あります。ただ、出来るだけ言葉を尽くして、的確に理解してもらい、主題に対して誠実な映像を作ってもらいたい、とそう思ったわけです。僕は昔、日本の某国営放送のお手伝いをして、同じようにフランスの若者と音楽のドキュメンタリーのロケ撮影をコーディネートしたんですが、結局番組ディレクターが日本から持ち込んだイメージに絡めとられて目もあてられないような番組にされてしまった(コーディネーターですから、フランスを離れれば、僕には何の権限もないわけです)経験があります。
で、最初に話があってからいくつかメールのやり取りがあって、男性中心社会→男の学歴社会→男の受験戦争→男の脱落者のヒキコモリ→男のオタク→日本男児はみんな精神病、みたいな90年代の論理をいちいち覆し、女性の社会参加の増加、終身雇用の終焉、と少子化の問題→ゆとり教育とその弊害→不景気と派遣切り→社会的疎外という今ほんとに若者たちが苦しんでる状況を説明してきたんですが。
そんでさっき、話を持ちかけてきたディレクターの方とスカイプで初めて顔見て話したけれど、僕の説明は理解してくれたようで(ちゃんと向こうでも取材かけてて、僕の言ったことの裏をとってた)、まあなんか一緒にやれそうな感じかな。ある程度話が具体化してくれば、ゼミの学生とかに協力してもらって、いろいろ学べそうなんですが、フランス語がねぇ。
続きはまた。
このネタでは最初の記事ですね.
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