on 2009年12月9日 by djmagimix in イベント, Comments (1)

日本のヒップホップ再考

12月6日、日本ポピュラー音楽学会(JASPM)の第21回全国大会のワークショップB『日本のヒップホップ再考』で発表しました。発表内容は以下のスライドの通り。今気がついたのだが、僕のは発表自体のタイトルを最後まで考えてませんでした。なので、僕の発表も「日本のヒップホップ再考」ということになっています。この5〜6年間の日本語ラップの状況は細かくフォローできていないので、そのへんは一緒に登壇いただいた残り二氏(木本玲一(『グローバリゼーションと音楽文化』著者)&石黒祐一(渋谷ダンス・ミュージック・レコード)におまかせして、僕は90年代の整理と、文化のグローバル化という観点から他国でのヒップホップのローカル化についてお話して、なにかヒントになりそうな分析枠組みを提示するという役回りに徹しました。

具体的には、畏友南田勝也が、ロックについて提示した三指標(アウトサイド、エンタテインメント、アート)というものが、90年代の日仏のローカルシーンでは成立していたことを簡単に示した上で、00年代の日本のヒップホップシーンを考える上では、上記三指標からは相対的に自律したもう一つ別の指標(中間的卓越化指標)が立てられるのではないか、というような仮説を提示したものです。これは、主にヒップホップの担い手がおかれている《場》の意識について、①レコードリリースが最終目的ではなくなっており、②自己目的的・自己充足的な共同体意識が芽生えており、③かといってそれほど《後ろ向き》ではないようなスタンスが増えているというような議論を踏まえたもので、今回の大会のシンポジウムで取り上げられていたような《産業外の創造活動》をイメージしたものです(いろんなところに目配りしてみたです、ハイ)。とはいえ具体的な事例って、ブルーハーブとかECDとかしか頭に浮かばないんですが。

フロアからは南田くん本人の反駁があったけれど、4つ目の指標として「グローバル」なるものが太陽のように頭上から照らしているという彼の提示した構図もなんとなく腑に落ちなかった。トインビー的な意味で、ヒップホップは究極的にはやはりロックではなくダンス音楽だと思うんですよね。だけど、同じくフロアからあった「(クラブで)日本語ラップをかけるとフロアの足が止まる」という指摘も確かに正鵠を射たもんだったし、とすると日本ではラップもロック的なもの(自己顕示的なロマン主義)に引っ張られて受容されたという言い方も成り立つのかもしれない。そう考えたら、グローバルなお日様の光を遮ってしまった時点で(日本語ラップの自律化・自明化)、実は日本語ラップは自律化・自明化とは全く反対の、拡散・解消に向かっていることになる(南田くん曰く「演歌化」→確かに戦前のジャズは、戦後の演歌につながってゆくのだがね)。

一つ、今回は俎上に乗らなかった論点として、グローバル化とも関連してくるのだが、やっぱり(世界)経済の《場》の動きと、それが大衆音楽生産全般に及ぼしている影響というのが考えられる気がする。要するに、ロックというのは、高度成長期の、円の価値が上がってゆく時期のポップ音楽なんだと思うんです。それに対して、ジャズやラップは、不況時の音楽。日本に限定して言えば、円が安くなって行く時代の音楽かと。輸入盤市場への影響もあるし、多分そうした経済《場》の布陣にあわせて大衆音楽家が取らざるを得ないリスク拡散戦略というのはあるのではないだろうか。

その点で僕は、日本語ラップというのは、大山昌彦師匠の注目しているようなロカビリーなんかとむしろ近しいルートをたどっているような気がしているんです。レコード屋じゃなくて服屋がレコードを流通させているような世界。

まだちょっと、実証的に詰めてかなきゃならない部分はあるようですね。

レジュメはこちら

このネタでは最初の記事ですね.

1件のコメント

  1. djmagimix

    2009年12月10日 @ 14:00

    当日配布したレジュメへのリンクが間違っていたので修正しました。スミマセン。

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