6月
16日
文化とは如何に動くのだろうか
6月
16日
読んだ論文:大前敦巳(2006)「今日の大学生における文化資本の社会的意味〜関西と北陸・上越の調査結果の分析から」『上越教育大学研究紀要』vol.25 No.2 pp.565-579
問題意識:ピエール・ブルデューらが40年以上前にまとめた『遺産相続者たち〜学生と文化』1の議論は、 今日の大学生を巡る状況にどう当て嵌めることが可能か。
自由化・市場化に向けた大学改革の進行に伴う各国共通の傾向
OVE調査2(2003年度)
ブルデューらが40年以上前に行った分析が現在も一定の説得力を持つとされる、フランスの学生の文化行動と階級的出自の相関に関する調査
グランドゼコール3準備級/大学の医学保健/文学・人文→正統的文化
関西および北陸・上越の大学生を対象とした調査では、OVE調査とは異なる文化行動の特徴が析出された
大学の種類(国公立・私立の違い、都市部・地方の違い、競争的か否かの違い)と文化行動の関連性は薄い。学校間・地域間の違いが目立たず、比較的同質性が高い。
関西と北陸・上越の大学生の文化資本は、親の職業・学歴に基づいた出自階層文化ではなく、家庭、学校、地域などでの文化行動を通じて、後天的な経験からむしろ獲得されるのではないか?
上述の大学生の文化行動の傾向について、その社会的要因を特定するためロジスティック回帰分析を行った結果、以下が判明した
「出自家庭から文化資本を相続継承して文化慣習行動の区別(卓越化:distinction)を生み出す面を強調するフランスの文化的再生産の議論とは異なり、社会的出自の影響以上に学校的な学習に対する関係が重要な意味を帯びてくる」(p.567)
「文化資本の形成条件となる『必要性への距離』を提供しているのは、社会的出自よりも学校、特に大学の場においてである」(p.567)。「必要性への距離」を提供する大学の機能を固守しなければならない。
「必要性への距離4」
ブルデューは、上流/中流/下流という階級間には、文化慣習行動について卓越化の感覚(自分の文化的嗜好が自然であり正統であるという自負)/文化的善意(正統的な文化的嗜好を擁護し、そこに仲間入りしようとする上昇志向)/必要なものの選択(文化的嗜好の正統性を巡る闘争に介入出来ず、物質的・経済的必要から文化的選択を行う)という関係があると考える
大学という場を通して文化資本を形成・獲得しているという意味で、関西や北陸・上越の大学生の文化活動はブルデューの言う中流階級的性向(文化的善意)に近い
しかし、出自階級と文化活動の関連が強くない以上、「たとえ学校的に獲得されたものであっても『善意』に閉ざされる宿命となるわけではなく、その制約を超えて自由になることも可能」(p.577)かも知れない
アルバイト経験に結びついた消費文化は、ブルデュー理論では「必要なものの選択」と看做されかねないが、文化資本の形成が階級的出自よりも大学生活へのコミットメントにより依存しているとすれば、それを「必要なものの選択」に閉じられたものにすべきではない
大学をはじめとする学校的世界が、文化資本の形成に重要な役割を果たすとするならば、「大学が必要性への従属を是認してしまうことは、文化資本へのアクセスを保障する意味において問題」(p.577)
ブルデューらの議論は、社会的出自と文化的嗜好の関係を所与のものとしては捉えていない。しかし、この論文では、正統的文化活動はオペラ鑑賞である、というフランス社会における文化実践のヒエラルキーを、所与のものとして前提にしてしまっている。日本におけるオペラ鑑賞は、それ自体が西欧文化の受容の歴史に媒介された文化実践であり、それそのものが日本の上流階級の文化的趣味と必ずしも一直線で結びつけられるものではない。ディスコ・クラブについても同様で、社交とダンスの関係が必ずしも自明でない日本では、これが地方の大学生の文化活動に結びつかないのは当然と言えば当然である。
いわゆる社会階級なるものは、存在しないのです(・・・)。存在するのは社会空間であり、差異の空間であって、そこでは諸階級が潜在的状態で、つまりひとつの所与としてではなく、いわば何かこれから作るべきものとして、存在するのです(ブルデュー 1989 日本講演)
本来的に個人の好みに関わる問題とされ、一見全面的に各人の自由な選択にゆだねられているかに見える「趣味」の領域においてさえ、われわれの判断がじつは自分の所属している階級もしくは集団に固有の知覚・評価・判断・行動図式の体系(ハビトゥス)によって厳密に方向付けられ規定されているということ、そしてそこには必然的に、自らを他の階級・集団から区別し卓越化しようとする戦略が介入してこざるをえないということ、こうした基本的認識の上に立って、種々のアンケート調査に基づく膨大な資料を駆使しながら、恣意的な差異を生産する分類=階級化のメカニズムがいかにして広義の「文化」をヒエラルキー化してゆくのかを明らかにしようとする(石井洋二郎 ブルデュー 1990 訳者あとがき)
こうした実体論的なこじつけが前提となっているため、全体として倒立した議論が展開されており、結局恣意的な結論になっている気がした。
パリおよびルーアンにおけるオペラの入場料
関西および北陸・上越におけるオペラの入場料
パリおよびルーアンにおける映画館の入場料
関西および北陸・上越における映画館の入場料
フランス人大学生の月平均支出
日本人大学生の月平均支出
ピエール・ブルデュー(1990)『ディスタンクシオンI・II』石井洋二郎訳 藤原書房
ピエール・ブルデュー、加藤晴久(1990)『ピエール・ブルデュー〜超領域の人間学』藤原書房
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