職歴

1991-

都内洋書店、リンドバーグにてアシスタント業務を担当。この頃はバイクと車が大好きでしたねー。これは老後の趣味になる予定(笑)。

1992-

フリーランスで日英翻訳。本もいくつか出したんですが、全部絶版状態です。ほとんど全部、イギリスの古い車の修理マニュアルでした。

1997

映画雑誌『FLIX』ライター。俳優や監督のインタビュー記事を翻訳したり、自分で記事を書いたりしました。テリー・ギリアムやゲイリー・オールドマンやロマン・デュリスなどにインタビュー。でも編集部から任される映画はたいてい僕の嫌いなタイプでしたね。

1998-

英レスターにあるピラミッドポスターズ社の販売促進、市場調査を担当。この頃はしきりに日本に帰ってきては、各地の大学の生協や購買部をまわってメーカー価格でポスターを売るという巡業(?)を行っておりました。これで博論の完成が遅れたとも言えますが、ひっくり返せば博論書くにはお金がかかるってことでもあります。

2000-01

小学館の刊行する『週間美術館』について、欧州の美術館・博物館と掲載作品の複製権のコーディネート。

2002-07

パリの翻訳事務所KSM社に勤務。博士号取得後、取り敢えずと思って民間企業に就職してみました。蓋を開けたら酷い会社で、良い思い出はなにも残ってないです。朝7時に出勤して、その日のフランスの朝刊の第一面の見出しを9時までに全部訳してクライアントの日系企業にメールで配信するというような過酷な労働条件でした(フランスなのに日35時間労働体制)。

この会社では、最後の最後に、『フランス雑波』という在仏日本人向けフリペを発行して、日本人コミュニティーのあいだでちょっとしたセンセーションを巻き起こしました。が、その編集方針を巡って経営者と対立があり、非生産的なハラスメントを受けた末、そうしたもの全てに失望して辞職しました。

2004-08

ぴあ『INVITATION』のフランス事情コラム担当。こうして見ると、ずいぶん長いことやっていたことになります。その間に担当者が3人代わった。

2008年5月24日売りの7月号では、なにを思ったのか「パリ・セクシー」特集で、パリのセレブな皆様に、「セクシー」とはなにかを尋ねて歩くというあまりと言えばあまりな取材のコーディネートと原稿書きをさせられましたしました。日本のフレンチ好きの注目を集めるアンドレとかコレットのプレス担当のギヨームとか、いろいろ会いました。でも、一番印象に残っているのは、嫌がられるのを承知で飛び込み取材したフレデリック・ベグベデかな。

ちなみに『INVITATION』誌はこの「パリ・セクシー」号を出した数ヶ月後に休刊となりました。オレのせいじゃないよ。

2007-09

パリにマーケティング、翻訳、編集プロダクション会社LOBOSを設立。

前の会社で立ち上げた『フランス雑波』を無理解な経営者のもとを離れてやり直そう、ということで、ぼくを含めた有志3名で会社を立ち上げました。そんでつくったのが『BONZOUR(ボンズ〜ル)』というフリペ。日本人向けだった『フランス雑波』から更に一歩踏み込んで、日本が気になるフランス人も読者として意識して、フランス語の記事も織り込んだ誌面。内容的にもよりトラッシュ感を増幅してみました。

1年半、みんなでがんばった甲斐あり、少しずつ知名度も上がってきたのですが、代表(オレ)の京都行きが決まったことであえなく一時休刊となっております。

この間、LOBOSとしては他にも情報通信研究機構(NICT)から欧州の情報通信技術周辺の政策や市場に関する調査を委託され、かなり真剣に調査をやっていました。

そういえば、フランスで夏至の日に行われている音楽祭の取材をNHK-BSハイビジョンがするというので、そのコーディネートをしました。最終的に放映された番組は手法が実験的だったこともあって評価が割れたそうですが、NHKオンデマンドとかならもしかすると見られるのかも。

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